昭和43年9月17日 夜の御理解
ただ今から、9月17日夜の御理解を頂きます。御祈念に入る前に善導寺の原さんがお届けされます。本当に日々が御神恩のお徳の中に生かされておると言うこと。家族の中に過程の中に嫁と姑と親と子と兄弟と言うような中になんともかんとも言えん。スムーズのおかげ、ここは嫁がせなならんとか、ここは婆さんがせなならんとかいったようなものではなくて、パパが出けん所は嫁がする。嫁が出けんところはおばあさんがする。もうそこんところがね、もうなんとも言えん。ありがたいということをありがたい、ありがたいと言い寄りましたけれども、この頃は、嫁ごがここんところを気がつくようになった。あちらに見えてから、一年あまりでしょうか。嫁さんがそういう家庭の中に入って本当に大したことだなあと、大した事の中にもう本当に何とも言えんおかげを日々頂いておる、ということ。家族の者があれだけ信心させてもろうて、その中にお互いの心の触れ合いといおうか。又、お互いの助け合いと言おうか、その中に何ともかんとも言えん言葉では、表現出来ないありがたいと言う日々をこの頃先生嫁ごが気づいておるようでございます。それを本当にお仕事をさせて頂く中にもうれしいやら、ありがたいやらで日々御用が出来ますというお届けを聞かしてもろうてね。「原さん、大したことですな。」ということです。私どもはね、そういう大したこと、大した事の中にね、これは、何でもないようなことですけれどもですね。私どもはおかげを受けておるということです。久保山の茂さんが、もう夏期修業の時分でしたから、もう何か月にもなりましょうか。ここにお参りしよって自転車の盗難にあっておった。それがどうも二三日前から、自転車置場に誰か見知らぬ自転車があると私も思いよった。今日、久富さんが気づかれてあれは、どうも久保山さんの自転車であると言うて、茂さんが参って来たときに言われたらしいんですよ。それか私は何か月前にプライバシーで頂く。何か月前に取られたのは、間違いないけれども、何か月後にやっぱりあそこへちゃんとあそこへ持ってきておるということです。大したことだと思うですね。家内が総入れ歯をいたしました。上の方だけはいいけれども、下の方が合わん。この頃から私に「もうお父さん、私のお父さん一生一代のお願いだから、聞いてくれ。」といいよる。何かと一生一代のお願いだから、聞いてくれ」といいよる。何かと一生一代の願いと思うたら、「もう本当にたくさんのお金を使ってすみませんけれども、どうも今まで行きよった歯医者ではいけない。行っても行ってももう修理はしてもらわれん。上ががばっと落ち着かないんですね。はめても鏡台の引き出しの中に入れなんべんもなんべんもはめてみるんですけれども、そのたんびにもういよいよ如何というので、そういうお願いになったらしいです。だから、そんな言わず、もういっぺん歯医者に行ってお願いしよる。おれが連れて行ってやるといいよったんです。そしたら、いよいよ高橋さんやら、文男先生が泊まっておりましたから、そこでその話をしたところがとにかくもういっぺん奥さん持ってきてはめて見なさい、というわけです。とてもだめだと言うてから、昨日又出して来てから、私たちの前ではめるんですよね。とにかく、一週間辛抱しなさい。とにかく、お願いさせて頂いて、一週間はめていよいよいかんときには文男さんが前も連れて行ってもらっていますから、させて頂くからと言うわけです。今朝も起きたら、早速はいるんですもん。「先生、不思議なこってすばい」という。******
とにかく、浮いてから、はまらなかった歯がです。一晩の中にはまるようになった。大したことだと思うのですよ。お願い、又は、悪き事、祈るもちろん確かに文男さんのことですけん。おそらく、あれだけくちばっていったからには、やはり修業の一つもしたことには違いないですけれどもね。もう本当にあれといい、これといい、考えて見るとそれは、ここへおるもんはね。たとえば、とられたもんが出てくること、当たり前のようなおかげ頂く事あり、前の事におるですよ。けれどもね、三ヶ月前取った人がですよ。三ヶ月後に又、もどしとならんということに、大した働きの中にあるということですよ。今、秋山さんが出てきておる。二三日前から、職人さん達とちょっと意見の衝突がありましてですね。それでは、はじめ中村さんという職人さんが出ておった。その間になんというですかね。高橋さんのそれこそ行き届いたお取り次ぎを願われてそれがその不思議に丁度12時頃だった。叔母さんという人に連れられて参って来た。それでその時丁度高橋さんがなんにんかの用事でタイミングようにそこにおかげを頂いてから、ところが相手の人たちがどうも
日々、高橋さんお届けされるんです。それも実に懇ろにですよ。職人さん達に対する願いとは、又、例えば、例をいうならね。自分たち家族の者の願いは100年のお届けがあってももう絶対職人さん達の願いがあるときは4*でお届けされるです。必ず、そしてそれが出ていく場合でももう絶対あの人が立ち行く様なねがいですね。それもいうなら、100*というものではないです。こと改まっての願いです。これは、おはつの内容までいうてはいかんです。けれども、わからんからいうんですけれどもね。その信心も大したことですけれどもね。そのおかげになっていく事が大したことなんです。***
どんなに考えてももっと楽なところもっとましなところがあると言うんです。けれども、結局はね、***
そういう働きがあると言うことは大したことですよね。そこですよ。そういうですね。お互いが大した働きの中に日々あるのですから、今日原さんのお届けではないですけれども、本当に大した働きの中、日々おかげを受けておる。何事もない、何にもないようですけれども、そのことが実を言うたら、大したおかげなんです。どうもおり合わなかった歯が一晩の中に折り合ったことは大した事ではないて、もう日々がそのような大したことの中にお互いおかげを頂いておる。そこで、大した事の中にある。いわゆる大いなる世に生まれ合わせて頂いておること。合楽教会がこうやって御非礼の途中にあるそういう中にお互い信心の稽古させて頂いておるということ。そういう微々さいに渡って神様の働きがあっておるときにです。生々と自分たちがそこで信心の稽古をさせて頂いておると言うことがです。私は大したことであると思うのですよ。本当は、ですから、あとあとで大したことだと気がつくのでは、なくて日々ですね。大した事の中にあることに気づかせてもろうてたいしたこと。いわゆる神恩報謝の生活が出来ると言うことが私はありがたいことだと思うんですね。まあここでは、そのただ今言うようなおかげ話が当たり前に日々たくさんのことですから、けれども、よく思うて見るとしかし、どれを取ってもどれを聞いても大したことだと私は思うです。お互い大した事の中に現在、おかげを頂いておる天地の親神様、御守護をね、そういう大したお取り次ぎの働きの中に頂いておるということを改めて気づかしてもろう。改めてお礼申し上げなければ、ならないのではないでしょうかね。どうぞ。